実に特異なこの1年半、そして収束はいつになるのやら。私たちの意識は一斉にコロナ・ウィルスやワクチンへ向いていますね。いうまでもありません。当然の成り行きです。でも心配するまえに正確な情報を把握すること。健康管理に努め、全力で明るい思考に切り替えていきましょう。この短い前置きを心込めて書きました。
ロックダウンの緩和が始まった6月、ある月曜日の朝のこと。アムステルダム中央駅といえば、あの立派な煉瓦造りで、近年まで東京駅のモデルだったのではないかと囁かれた建物です。その経緯を調べると次のような事がわかります。アムステルダム中央駅は7年を経たのち1889年に完成しています。いっぽう東京駅はその19年後に着手され、6年間の歳月を経て1914年に開業。
この二つの建物は外観が似ているためにそう思われたのでしょう。しかし注目すべきはそのスタイルです。
前者はネオ・ゴッシックの建築物、つまり中世からのゴシック・スタイルを復帰させる流れの中で建築されたもの。後者は19世紀の英国を象徴するヴィクトリアン様式を彷彿とさせたものです。そんなこんなで結局のところ決着がついてしまいました。とはいえ、アムステルダム駅完成から東京駅着手までの19年間は、何らかのヒントを与えるのに充分な時間だったかもしれませんね。
駅のメイン・ホールに入ると、デーヴェンター行き電車の出発にはまだ10分ほど余裕がありました。そこには行き来する人々に声をかけながら和やかな様子で何か配っている駅職員が数名おりました。ロックダウン解除へ向けて喜びのジェスチャーなのです。「ブダンクト!」と礼を言って渡された小袋の中身を確かめてみると、カサコソと乾いた小粒の種の音がするではありませんか。思わずにっこりしてしまいます。
ご存知のようにオランダと花は切り離せません。もちろんビジネスです。発端は16世紀のチューリップの球根だろうといえば、ああ、あれかと頷かれる方も多いでしょう。次のような話です。
チューリップの球根を手に入れた偉大な植物学者 C.クルシウス(1526−1609)は、これをライデン大学の植物園で栽培しながらとことんの研究を重ねます。その結果、チューリップの球根が(種からも発芽するが多くの年数を要する)オランダの土壌でよく生育することがわかったのです。球根に細菌がつくことによって色、模様、形状異なるヴァラエティー品種が生まれるのも面白いことです。見るからに魅惑的なそれらエキゾチックなチューリップは当時の絵画に残されている通り。話を端折ってしまいますが、国内に広がっていった花の虜オタクはどんどんその数を増やして、ついに熱狂の渦に巻き込まれていく、そして憑かれた人はチューリップ・マニアと呼ばれました。それだけではありません。時が黄金時代初期とあれば、羽振りの良い目利き商人がこれに投資を始めます。フィーバーがさらに庶民の裾野にまで広がったかどうか?一部の限られた者達だけだったという説もある。どちらにせよ、チューリップの球根のために広大な土地を手放す者が現われたというのは事実です。 それなら結末は? 残念ながら虚構はバブル、当然のリスクとしか言いようがなく自然の摂理に則ってとうとう弾けてしまいました。
この破廉恥なストーリーを振り返ってみると、やはり独特な味を持つ人間ドラマ、というところでしょうか。
庶民宅のサロンがチューリップで飾れるようになったのが18世紀。そして時代は進み、20世紀の航空機の登場で当初は米国やロシアを中心に(?)諸外国へ花の大々的な出荷が始まりました。オランダの花文化はこうしてその名を世界へ轟かせ今日に至ります。
アムステルダム中央駅の「花の種」は、こんな風に背景を思い描くことで新鮮な印象になりました。どうぞ袋をみてください。B(l)ij je weer te zien op het station !「きみにまた駅で会えるのは嬉しい」とあります。かっこの部分、bij とは英語の withやabout、その他多様 。そこへ blij、これは嬉しいというくらいの意味。これらふたつ重ねておちゃめな言葉遊びをしています。どっこいどうして、なかなか心憎いプレゼントです。
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