屋久島についてのBlog記事を書きながら、かなり多くの人々が現地を訪れ、数多くの紀行Blog記事を掲載されているのに気付きました。
感動するポイントはほぼ同じようですが、視点によってはそれぞれに面白く読む事が出来るのを知りました。
本Blog「屋久島のこと」は今回が最終版です。
屋久島周遊一日コースに含まれる屋久杉ランドで見学を終え、バスで少し先へ行った所の推定樹齢3000年の紀元杉を見る為にバスに乗込もうとして同乗者を待っている時でした。
屋久杉ランド前のバスが停まっている広いスペースから少し離れ細くなった
道端に小さな御土産の台を出しているのが見えました。お土産を買ってみようかと近づいて見ると男性が座っていました。
品物に目を取られながらも、更に良く見てみると黒い髪の西欧人らしき容姿です。
英語で「良く売れますか?」と関西風に話しかけてみました。
「まあまあだけれど、楽しい」とこれも関西風の返事でした。フランスから来た事、屋久島に住んで20数年が過ぎた事、奥様は日本人でお嬢さんが一人居る事などを話してくれました。
屋久島到着の日、安房港から目的地・宮の浦行きの国鉄ローカルバスに乗った折に一目で白人との混血と分る中学生くらいの少女が背中にYAKUと書かれたスポーツクラブの服装で座っているのを見かけましたが、思わず、このフランス人があの少女のお父さんでは無いかと思い、少女は宮之浦と安房の中間地点・屋久島空港、長峰辺りで下車したが、と話しながら尋ねてみました。
お嬢さんは20歳を過ぎているとの事で人違いでした。
小さな島の少ない人口ですが、こうして屋久島が心底気に入った外国人(や本土の人々)がかなり島には定住しているのかもしれません。
アムステルダムから来ている事を告げると、「あそこは若い頃に一度行ったが面白い都市だった、薬の売買が自由で驚いた」などとタバコを紙チェックで巻きながら、側に来て世間話をしてくれました。
周遊コースでは「焼酎川」という美酒家が喜びそうな川と同名のバス停を通過します。
ガイドによると、昔、島では禁じられていた焼酎を製造していた多く家庭があり、役人の検査が入ると、貯蔵の焼酎全部を川に流して罪を逃れ、川は大量の焼酎で一杯になり焼酎川と呼ばれたそうですが、おそらく、移住してきた外人も島の昔の生活形態を十分に取り入れ、地酒・焼酎などを(醸造)楽しんでいるのではと、思わず想像を働かせながら話を聞きました。
出発が迫り時間切れで短く別れを告げ、友人の待つ周遊バスで次の目的地へ向かいました。
お土産を買い損ねてフランス人には申し訳ない気持ちが残りました。
屋久島への旅は、日本という国の奥深さに触れ、様々な時間を共有できた貴重な体験の旅となりました。
おわり
A子