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海外日系人協会第59回ハワイ大会(1)ハワイ集団移民

先の6月、日本経由で海外日系人協会主催のハワイ大会へ、オランダからのパネリストとして出席してきました。 


大会の詳しい報告は、海日協のサイトをご覧ください。
http://www.jadesas.or.jp/taikai/59.html


日本人が最初に海外へ移民したハワイと、大会で遭遇しました興味深い日系の人々についてお話します。



1.ハワイ集団移民

 1868年(明治元年)、153人の日本人集団移住者たち(元年者と呼ばれる)がサイオト号でハワイへ渡りました。 ハワイでは、プランテーションなどでの労働力補充の為、外国人労働者を求めていました。当時、日本に派遣されていたハワイ領事ヴァン・リードは、徳川幕府に交渉し約300人の送り出しの準備を進めていましたが、その間に明治維新が起こり、新政権となった明治政府はこれを無効化してしまいます。そこでヴァン・リードは、無断でサイオト号を出港させることになります。こうして日本人の最初の集団移住が始まりました。



 元年者は、慣れない環境のもと、プランテーションでの過酷な労働を強いられます。彼らが窮状を訴えたことにより、明治政府はハワイへ特使を送り、一部の帰国希望者を日本に返しました。3年間の就労期間を終えた残りの元年者のうち、約半数がアメリカ本土へ移り、10名ほどは日本へ帰り、それ以外の人はハワイに残りました。結果として、元年者約150人は、ハワイ、アメリカ本土、日本に、それぞれ3分の一ずつくらいが散らばった形になりました。

プランテーション労働者の一日のスケジュール
大槻幸之助資料(JICA横浜 海外移住資料館所蔵)



 1885年、日本ハワイ労働移民条約の締結:官約移民、1894年迄に2万9千人が移住。


 1894年、ハワイは米国の属領となり民間会社仲介の「民約移民」。当時、ハワイ在住日系人はハワイ全人口の約4割を占め、1900年からの自由渡航移民、呼び寄せ移民の後、1924年に移民法の改正で日系移民は廃止されました。  


続く


A子

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