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オランダにおけるワーク・ファミリー・バランス(5)

オランダにおけるワーク・ファミリー・バランス(5) 善積京子教授論文抜粋

追手門学院大学・地域創造学部紀要4号「オランダにおけるワーク・ファミリー・バランス」2019年3月10日
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(写真:ワーク・ファミリー・バランス研究会全員)


1-2.多様なグループが交わらず共存する多元主義社会(続き)

「柱状社会」の機能と衰退

 キリスト教系政党は、この「柱」に支えられて最大勢力となった。ブルジョア自由主義や急進的な社会主義を批判し、それに代わるコーポラティズム的な労使協調や漸進的な社会改革といった中道路線を志向していった。その結果、「柱」を越えた全国的な場でもリーダーとして行動し、労使協調に積極的に取り組むことが可能となり、紛争を抑止するシステムが機能した。
オランダの柱状社会は相互排他的でなく、階層横断的な信条別の組織だった。また、柱状社会では、「柱」のトップリーダー(エリート)だけが、別の柱状社会と交流し、エリート的行動を課せられたのではなかった。「柱」内には様々な団体があり、それらが各々、他の柱状団体と交流をしていた。このことが、交流の累積効果をもたらした。

 当時のヨーロッパ情勢での外圧的な脅威も、「多極共存型」(レイブハルト)の民主主義国家の連帯性を促した。20世紀初頭から1960年代まで、オランダの国民の半数近くがこれらの「柱」に属し、選挙もその柱状社会システムが反映された。比例投票制度が採択され、獲得票に応じて当選者が決定され、過半数を得る政党はなく、常に連立による政権が樹立されていた(長坂寿久2000)。

 柱状社会は、1960年代までは強固に残っていたが、70年、80年代には衰退し、政党や労働組合も改編されていく。これまでの政治的指導者たちへの信頼は減退し、市民の政治参加の形態も変化し、とりわけ、カトリック教の影響力が後退する。
1997年の政府統計によると、カトリック32%、プロテスタント23%、その他の宗教7%、無宗教40%となっている。グローバルな社会の変化の中で、旧来の柱状社会が現代の社会に適合しなくなるが、しかしながら、今でも、柱状社会の痕跡は存在し、その時代の団体も統合されずに残っているものもある(長坂寿久2000)。

異民族との共存社会

 オランダは、20世紀まで移民や難民を積極的に受け入れ、マイノリティに開かれた多文化主義の政策を取ってきた。オランダの憲法では「オランダにいるすべての人間は同じ境遇の下に同等の待遇を受ける。宗教、思想、政治的心情、人権、性別その他いかなる理由による差別は許されない」とされる。1950年以降、オランダからの独立に伴うオランダ系インドネシア人、トルコやモロッコなどからの労働移民、旧オランダ領のスリナムやアンティールからの移民を受け入れる。1990年には中東欧や中東からの難民も流入する。その結果、イスラム教徒人口は1998年には69万5600人に達し、全人口の4.4%を占め、イスラム教はプロテスタント、カソリックに次ぐ第3の宗教になる。2017年のCBS統計によると、オランダでは15歳以上の人口のうち24%がローマカトリック教徒、15%がプロテスタント、5%がイスラム教徒である。

 寛大な移民政策により、通常の場合はオランダ滞在5年、家族誘致による入国の場合は3年で、永住許可が発行された。地方自体への参政権の付与も、移民者に民主主義の機能の仕方を教えるプロセスの1つと考えられ、5年以上の滞在で選挙権や被選挙権も与えられた。

 また、移民の文化的アイデンティティの保持が自己イメージを高め、社会的統合を促進すると考えられ、移民の子弟に二言語教育を提供された。オランダ・モスリム放送局が設立され、イスラム系の学校にもキリスト教学校と同等の公的補助が与えられ、1988年にはイスラム宗派の小学校が2校設立された。

つづく

A子

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