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野内与吉とマチュピチュ村(1) 野内与吉とマチュピチュ村

 今年6月の第59回海外日系人協会主催ハワイ大会には、「日本マチュピチュ協会」の発起人で会長の野内セサル良郎氏(日系3世)が参加、「祖先への思い」と題する講演を日本語で行いました。その一部をご紹介します。



(1) ペルー移民

 氏の祖父、野内与吉は、1894年(明治27年)11月、福島県安達郡玉井村の裕福な農家の次男として生まれました。


1917年(大正 6年)、契約移民としてペルー共和国のカリャオ港へ向け、横浜港から出国しました。21歳でした。 


1918年(大正 7年)、アメリカ、ブラジル、ボリビアへ渡り、1923年(大正12年)29歳でペルーに戻り、クスコ県のペルー国鉄クスコ・サンタ・アナ鉄道に勤務、マチュピチュ集落に定住しました。1935年(昭和10年)、 マチュピチュ集落に村唯一のホテル(ノウチ・ホテル)を建て、1939年(昭和14年)、マチュピチュ集落最高責任者の行政官に任命されました。





東京大学総合研究博物館ニュースV19No.3            



マチュピチュ遺跡


その後の経歴などは以下の通りです。


1941年(昭和16年)10月 - マチュピチュ村の創設(行政区分によりマチュピチュ集落からマチュピチュ村となる)
1947年(昭和22年) マチュピチュ村大水害(土砂崩れ)発生。
1948年(昭和23年) マチュピチュ村復興の為、村長に任命される。
1950年(昭和28年) ペルー国鉄クスコ・サンタ・アナ鉄道に再度、勤務。
1958年(昭和33年) 三笠宮殿下がマチュピチュ遺跡見学
1968年(昭和43年) 7月故郷である福島県大玉村に帰郷。
1969年(昭和44年) 8月29日、 現地で物故

 野内が村長に就任した契機は、村の川が氾濫し、村民が政府に救援を要請した際に、復興のために政府の命で村長に就任した事によります。


マチュピチュが正式に村に昇格したのは1941年であり、事実上の初代村長でした。1958年、三笠宮崇仁親王が遺跡を見学した際に、長女オルガ・ノウチが花束を贈呈したことが報じられた日本の新聞記事により、親族が野内の消息を知り、日本大使館を通じて接触、旅費を集め、1968年に52年ぶりの帰郷が実現しました。


当時のメディアでは、「今世浦島」と伝えられました。 


続く


A子


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