本格的な冷え込みはこれから大寒を迎え立春が過ぎるまでですが、そんな寒さも吹き飛ぶエネルギッシュで良い年になりますよう。
新年、新書のご案内です。
「歌の革命」 リトアニアの独立とそれにまつわる人々 高橋眞知子著
(ノンフィクション 2019年12月、社会評論社発行)
プロローグ
1章 リトアニア初の飛行機設計士、空軍パイロット
2章 独立革命のリーダーとそのファミリー
幕間のひと時(筆者の経験談)
3章 芸術と政治をめぐる様々な物語
4章 「歌の革命」はどのようにして起きたのか
エピローグ
ヨーロッパの北に位置するエストニア、ラトヴィア、リトアニアのバルト三国は、人間の鎖とも呼ばれる「バルトの道」で世界に名を馳せました。彼らの歴史は特にポーランド、ソヴィエト、ドイツなくして語れぬドラマチックなものです。いま静かなブームが広がりつつあるバルト国、本著ではリトアニアを主軸に、耳新しい物語や人物をご紹介します。
冒頭の章は英雄的人物でリトアニア初の飛行機設計士、空軍パイロットのユルギスという若者について。飛行機にはもう乗らない、26歳の彼は大好きな母にこう約束したはずでした。とても短い人生でした。パリで学び飛行機設計士としての海外での名声はお国にはあまり知られていませんでした。時代はベルエポックで、空飛ぶマシーンはロマンの世界。パリのエッフェル塔を旋回したバルーンの発明家サントス・デュモンや、オランダ航空と共にあったフォッカーはもちろん、フランス人、アデールが製作した飛行機のそのエレガントなこと。
1904年から翌年にかけて起きた日露戦争の前代未聞、加えてロシア革命の勃発。そんな時、リトアニアで初めて日本についての著書を発行する人物が現れたのは、まさに日露戦争の勝利国日本から光を得たためでした。では未知の国日本の情報を彼はどこから得たのか。時代はさかのぼります。1700年代、ロシアの皇帝ピョートル一世の重要な政策のひとつに、日本漂流民による日本語教育があったのです。漂流民たちの資料や、その後に現れた日本語研究者たちの書が残され、保管されていたサンクト・ペテルブルグ。カイリースがその町で学んでいたのは偶然だったでしょうか。
第一次世界大戦終了後のパリ、ヴェルサイユ講和条約の一悶着、避けられなかった第二次世界大戦。1940年の夏に起きた命のビザのテーマでは、杉原千畝とオランダ領事・ツワルテンダイク両氏の接点と経過について新しいソースを得ました。ただし現在も研究、解明が進んでおり、今後情報の修正が余儀なくされることもあるでしょう。
「レッドオクトーバーを追え」というション・コネリー主演映画をご存知ですか。1961年、プレシュキースという実在の人物の体験談をもとに、トム・クランシーが1982年に書き下ろしたベストセラー。それを映画化したものです。ソヴィエト海軍、潜水艦隊のキャプテン補佐、リトアニア人のプレシュキース。彼が求めた自由。ソヴィエトからの奇想天外な逃亡劇はバルト国民だけでなく世界の人々の心を打ちました。他方、カレリアの森を、冷たい大きな湖を、スエーデン国境へ向け決死の覚悟で行く人々。
リトアニアを代表する歴史的芸術家(画家、作曲家)といえばチュルリョーニス。日本にも隠れファンがいます。そして絵画の世界で彼がみせた”日本趣味”。17世紀黄金時代のオランダ東インド会社に遡って源を探ります。ロンドンやパリの世界万国博覧会の様子や、ジャポニズムと称される”日本趣味”についてのアプローチです。
最後の4章、リトアニアを独立に導いた英雄、リトアニア国家元首のV・ランズベルギス。複数回の訪日で親しまれた政治家、音楽家です。革命はどのように進められたのか。非武装で、歌とほほえみで成されたこの驚くべき革命運動は、それがために歌の革命と命名され、一種の特異現象ともされています。インタヴューで元国家元首ランズベルギス氏が語ります。
執筆に想定外の膨大な時間を費やすことになりましたが、少しでも読者のお役に立てれば、こんなに嬉しいことはありません。
2020年1月 高橋眞知子
にほんブログ村にほんブログ村に参加しています。クリック応援よろしくお願いします!
★ 在蘭邦人相談窓口ではスポンサー企業を募集しています。ブログランキング上位の当ブログに広告を出してみませんか?
詳細はjhelpdesk@live.nlまでお問い合わせください。
★ ボランティアメンバー募集中