在蘭邦人相談窓口のブログ

オランダにある、日本人のための相談窓口。オランダ生活で分からないことがあればお気軽にご相談ください。相談無料。秘密厳守。

ドラーケンスタイン城・Lage Vuursche村の歴史(4)

17世紀のネーデルランド連邦共和国は、スペインからの独立とネーデルランド諸州の独立宣言を果たした八十年戦争(1568〜1648)が終結し、当時のヨーロッパで一番裕福な国でした。



この時代には、ラーへ・フールシェ村などに代表されるユトレヒト州のLaagte van Pijnenburg低地域でスーストダイク宮殿 Soestdijk、デ・ホーヘ・フールッシェ城 Kasteel de Hooge Vuursche、 デ・エルトの森と館De Eult、 ペイネンブルグ(田舎の大邸宅を含む領地)Pijnenburg 、エウェイクスフーヘ家の城 Ewijckshoeveなどの数多くの城や館が建築、再建されました。



ドラーケンスタイン城は17,18世紀の間に城主が数回交代し、1779年まではゴーデン家の所有でした。



1780年に改築され柱石Ionischeが取り除かれて城の姿は変りました。


1807年、ユトレヒトのボッシュ市長Paulus Wilhelmus Boschの所有となり150年間この家族により維持されていましたが、1959年にはプリンセス・ベアトリックスがFrederik Lodewijk Boschから買い取りました。


その後、城は修復され1963年にベアトリックス元女王が移り住まわれ、1780年には状態の悪くなっていた(壁のリネン布に製作された)全体絵画がアムステルダムの壁画家によって城のインテリアから取り除かれました。この壁布は、以前はスーストダイク宮殿の屋根裏に保管されていましたが、現在は修理されてアムステルダム市Keizergracht運河沿いのMuseum Van Loonに設置されています。



プリンセス・ベアトリックスは女王となってからは1981年にデンハーグへ移住、その後ドラーケンシュタイン城は、逗留の為の屋敷、迎賓用の城として使われて来ました。



2006年、ドラーケンシュタイン城での居住を可能にする為の修理計画を再び発表、城は数メートル拡張され、21世紀に相応しい十分な保安安全装備が設備される事となりました。



当時このニュースはベアトリックス元女王の退位が近いという噂に拍車をかけました。ドラーケンシュタイン城はオランダ王室の個人所有の城であり、他の王立宮廷の様に国家建築局Rijksgebouwendinstの管理下にはありません。



城と敷地は一般公衆には立ち入り禁止になっていますが、Lage Vuursche村の人々は、ベアトリックス元女王が戻って見えるのを大変に楽しみにしています。(おわり) 



A子


にほんブログ村 海外生活ブログ オランダ情報へ
にほんブログ村に参加しています。