在蘭邦人相談窓口のブログ

オランダにある、日本人のための相談窓口。オランダ生活で分からないことがあればお気軽にご相談ください。相談無料。秘密厳守。

その昔、横浜から船できました。もしかして、あなたも。

とある日本人女性(オランダ在住)から旅の経験談を伺いました。
次のようなストーリーです。

「 1968年、横浜からヨーロッパへ向けて旅したときの話です。60年代といえば東京オリンピックが開かれ、学生運動まで起きて出来事だらけの時代でした。あたしは20代で大阪のとあるデパートに勤めていたんです。夢はヨーロッパに行くことでした。ひとは本気を出せばなんとかなるものですね。友人の援助もありました。横浜からの船旅が一番安いこともわかりました。今からちょうど55年前のことです。

季節は4月。波止場から見送る人達が船の甲板に向けて色とりどりの紙テープを投げかけ、それが春風に煽られて、とそこまではよかったんですが、出航して間もなく雲行きが怪しくなりいつの間にか海が上へ下へとうねり始めてねえ。大シケになってしまったんです。あたしたちは食事どころか、汚らしくってすみませんが胃袋の奥からもう吐くものもなく。え、あたしたちって誰のことかって。実はとある旅行会社の日本人向けツアー(横浜からウイーンまで)だったんです。20名ほどの冒険心旺盛な若者たちが参加していました。青息吐息、やっとのおもいで目的地のナホトカに入港したのは数日後。そこからは嵐の船旅がまるで嘘だったように各駅の田舎列車でのんびりとハバロフスクへ向かいました。いいえ、そのあとはシベリア鉄道ではなくてモスクワへ飛行機で飛んだんです。楽な旅なんかできるはずがないと腹を括ってはいましたが、その飛行機、とんでもない代物でした。機内ではプロペラのすさまじい爆音で何を言っても聞こえない有様です。

モスクワの宿泊ホテルの名前はもう忘れてしまいましたが、息を呑むほどのスケールには圧倒されました。(筆者:”ホテル・ロシア”と思われる。当時世界最大規模を誇り1968年~2006年まで営業)
ところで、当時の若者たちは文化的な趣向を持っていたのかな、というのも、モスクワに着くなりボリショイ劇場でバレーを観たいとみなが言い始めたからです。あれよという間に彼らはチケットを手に入れ、気がつくとポツンと取り残されたのはあたしひとりでした。そこに通りかかり声をかけてくれたツアーマネージャー。クレムリン劇場のチケットを勧められました。その安いチケットを握りしめてひとりで出かけると、なんだか高揚感が湧いてきたものです。それはドンキホーテのバレエでした。(筆者:セルバンテスの小説をもとにした作品)すごくよかったです。
ところがまさかの出来事って起きるものなんですねえ。プリマドンナが回転技の見せどころでステンと転んじゃった。さらに驚いたのは相手役のソロダンサー。彼女を冷たく突き放したような態度でひとかけらの哀れみもありません。厳しい世界を目の前にしてしまって、ええ。

モスクワでは2泊したように覚えていますが、いよいよグループ旅が終わりに近づきます。列車がウィーンへ到着すれば、あとは夢と自由を追って自分の冒険が始まる。



あたしは予定通りフランスのディボンヌ・レ・バン(スイス国境に近い)に向かいました。
それは農家を改築した、子ども専用の ”サナトリウム” で、もうひとりのスイス人の女の子と、毎日一緒に食事を作ったり運んだりのお手伝いをすることになりました。問題を抱える子や孤児がそこには何人も暮らしていたのでね。仕事の合間にはここぞとばかりパリに行って息抜きと気分転換の楽しいひと時を過ごしました。

取得していた1年限りのビザの延長は大きな課題だったといえばわかってもらえると思います。国境を超えてスイスのジュネーブに移り住むことも考えたのですがとうとう滞在許可が降りませんでした。そんなわけで右へ左へと1年間ほど旅三昧の生活をして、ふと思い出したのが船旅のルームメート。元気にしているだろうか。「アムステルダムに住んでいるペンフレンドに会いに行くのよ」なんて話してくれた彼女。会いに行ってみよう。と、こんな風にして、あたしはアムステルダムにやってきました。
暗いイメージだったアムステルダム。アジア系外国人といえば当時インドネシア人や中国人くらいでした。ルームメイトは頑張って元気に暮らしていましたよ。日本食が恋しくて、鮭の塩漬けをおにぎりの具にしたり、、、、話はつきませんが、まあまあこれくらいにしておきましょうか。

あたしは広島生まれ。当時少しばかり貯金ができて海外渡航ができました。そして、ここに定着してしまいました。この歳になると昔が懐かしいです。もし、同じように横浜から船で来られた方がいたら、どうかお知らせ下さい 」。             おわり    春野花子(仮名) 



*読者様へ、
ご連絡下さる場合は、在蘭邦人相談窓口のメール ( jhelpdesk@live.nl ) 宛に
「ブログ記事 横浜から船できました」について、と表示してお便りを下さい。
お待ちしています。

以下、ご参考に。
大戦以降1961年に再開した横浜港からのナホトカ航路は1991年のソ連邦崩壊のあと1992年に廃止。ここでは、ユーラシア大陸を横断するシベリア鉄道(モスクワとハバロフスク間を7日間の旅)を使わず空路で旅しています。
全行程の所要時間は:
横浜港からナホトカ港まで船で約52時間。
ナホトカからハバロフスクは鉄道で約16時間。
ハバロフスクからモスクワまでの航空便(アエロフロート便)は約8時間。
モスクワからウイーンへは現在でも、鉄道で30時間程かかります。


2023年4月   高橋眞知子


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