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オランダの王室 (4)

第4回はアレキサンダー国王ご夫妻成婚5周年目に際しての報道です。



4. Willem Alexander王子&Maxima妃結婚5周年 (2007年1月)



2007年2月2日金曜日は早くもWillem Alexander王子とMaxima妃の結婚5周年にあたります。



これを記念して、オランダの日刊新聞De Telegraaf社の2名の記者による執筆本「マキシマ:オランダ王国のプリンセスとして5年」が出版されます。



報道界では、Willem Alexander王子が王位を継承しウイリアム四世となった場合のマキシマ妃のタイトルについての議論が復活しています。



また、オランダ王室に関する世論調査で、国民の人気投票ではMaxima妃が群を抜きトップを走り続けています。



5年前の結婚式では、妃の父親ゾレグエッタJorge Zorreguieta氏は、1976年~1983年のVidela政権体制時に、当時の軍事独裁政権が行った民族殺戮に農業副大臣として間接的に関与していたとしてオランダの一部とアルゼンチンの左派の間で、マキシマ嬢とウィレム アレキサンダー王子との結婚に反対する根強い意見がありました。



アムステルダム市コーヘン市長が執行した結婚の式典には、ベアトリックス女王からの説得を受けたマキシマの父君ゾレグエッタ氏は列席を断念しました。



父が欠席の為に母も参列を辞退し、伯母と兄弟のみが出席する事となりました。



式典で母国の音楽が流れ始めるとマキシマ妃の目から大粒の涙が溢れ、テレビ中継に見入っていた多くのオランダ国民は同情、感涙しました。



その後、マキシマ妃は国民に愛されるプリンセスとして王子に伴って多くの国々を訪問、オランダ王室外交の大役を担って来ました。



5年間の間には二人のプリンセス、王位継承権を持つ アマリア妃(Amalia、07-12-2003)とアレキシア妃(Alexia,26-06-2005)が生まれました。



また、この間には、オラニェ王室の王族の崩御という不幸もありました。



2002年にPrins Claus(王子の父)、2004年Prinses Juliana(王子の祖母、前王女)、2004年Prins Bernhard(王子の祖父)の葬儀に参列する悲しい表情のWillem Alexander王子とマキシマ妃の映像が世界中に流れました。



下院(第二院)では、SP社会主義党(第三政党25議席)を除く各党の大多数がウイリアム四世戴冠後のマキシマ妃に女王のタイトルと称号を与える事に賛成しています。



問題は、かっての女王の伴侶達(prins Hendrik, prins Bernhard, prins Claus)には王の称号を与える事なくプリンスの称号として来た経緯があります。



また、国民に親しまれている現女王の妹マルガリット妃の夫Pieter van Vollenhoven氏にはプリンスの称号さえも与えられていません。


最近続いて結婚をしたオランダのプリンス達の伴侶にはプリンセスの称号が既に授与されています。



王位継承者の伴侶の称号授与について、男系の王位継承伴侶の場合は称号授与に問題は無く、女系の伴侶の場合に問題が生じる一つの理由として、女王の伴侶に王の称号を授与すると、実際の国家頭首である女王より伴侶の方が対外的に力を握り国民からも重要視される結果を生みかねないという懸念があるからだと言われています。



王の伴侶の場合はその危険性が薄く、王を助け従属してゆくであろうという見方です。



今後も男女平等の近代的な政治の場でどのような判断、展開となるか興味深いところです。



ウイリアム四世戴冠後の現在は、既にマキシマ女王として内外での活躍が注目されています。
(続く)


A子



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