在蘭邦人相談窓口のブログ

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2002年2月2日

今から10年前の2002年2月2日は2が並ぶ日ということで、結婚式にこの日を選ぶ人も多かったということでした。




その中にはロイヤルカップルもいました。




オランダ皇太子ウィレム=アレクサンダー




(Willem-Alexander Claus George Ferdinand van Oranje-Nassau 正式だと長いお名前ですね)と




マキシマ・ゾッレグエタ・セルティ(Máxima Zorreguieta Cerruti)のお二人もこの日にアムステルダムの新教会で結婚式を挙げました。




今年は結婚10周年ということで、オランダのテレビでも結婚式の様子や皇太子ご夫妻について特集で取り上げるテレビ番組もあります。




私もテレビの前で教会からの結婚式の中継を見ておりました。美しい良い結婚式だったと思いました。




オランダ語の放送ですが、2月2日(木)NED1で14:15〜16:00まで、当日の教会での結婚式の映像を編集した




Willem-Alexander en Máxima: de momenten van 2-2-2002 という番組が放送されます。




しかしこの結婚も実はすんなりと進んだわけではなかったのです。




それはマキシマ妃の父親(Jorge Horacio Zorreguieta stefanini 氏)が、



軍事独裁政権であったビデラ大統領政権の農業大臣であったことから、



当時の閣僚の一人としての責任を問われ、二人が結婚を選ぶなら王位継承権を放棄すべきだ、



との世論が巻き起こりました。




(アルゼンチンのビデラ政権当時の出来事に関しては、




詳細はウキペディアのホルヘ・ラファエル・ビデラ・レドンド(Jorge Rafael Videla Redondo)をご覧ください)





国会でも討論されましたが、結局マキシマの父親には責任はなかったということで、皇太子との結婚が認められました。




しかし彼女の父親は結婚式には招待されず、母親も一人だけの出席を好まず、




父親、母親ともにこの日の結婚式には出席をしませんでした。




二人の間には2003年に長女カタリナ=アマリア王女、




2005年には次女アレクシア王女、2007年4月10日、第3子となるアリアーネ王女が生まれ、




今も幸せそうな様子です。




ちなみにオランダは第一子が男子であれ、女子であれ王位継承権第一位と決まっており、




現ベアトリクス女王の母ウィルヘルミナも女王でした。

皇太子のウィレム=アレキサンダーが国王になったその後は、再びカタリナ=アマリア女王が誕生します。



(皇太子妃に関して興味のある方は、ウキペディア[マクシマ・ソレギエタ]をご覧になってみて下さい)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%83%9E%E3%83%BB%E3%82%BD%E3%83%AC%E3%82%AE%E3%82%A8%E3%82%BF

C菜


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