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鍼医療と和蘭陀のデーヴェンター

もう16年も前のオランダのデーヴェンター市の新聞「Deventer Dagblad」2002年3月23日に


イングリッド・ウィレムス女史の「鍼療法の先端はデーヴェンターにあり」という記事が掲載されました。



次のようなものです。



「これはあまり知られていないことですが、西欧で初めて鍼療法についてものを書いたのは、デーヴェンター生まれのひとでした。名前はウィレム・テン・ライネ(1649ー1700)。


現在デーヴェンター市内に開業する鍼師・代替医療師のユルン・ライター氏は1975年以来の職歴を持つベテランですが、テン・ライネに魅せられて長年に渡り資料集めをしてきました。



テン・ライネは1673年、24歳でにV.O.C (オランダ東インド会社)の公のお抱え医師として航海に同行した人物です。1683年にロンドンとハーグで初めて鍼医療についての著書を出版しています。、、」



ライター氏が歴史を調べていくと興味深い事実が明らかになっていきます。


当時海外にも知られていたデーヴェンターのラテン語学校を卒業しライデンで医学を学んだこのテン・ライネという人物はかなりの秀才であった。1674年に日本を訪れ長崎の出島から江戸に上り徳川家康に謁見。日本滞在2年。初めて中国古来の鍼医療に触れ、灸のモグサを取り入れてMoxaの名称で知らしめたのもこの人物。



そんなわけで、テン・ライネを探求しているライター氏を、紙面の許す限りご紹介しましょう。

パートナー共々約3週間、9月の日本初訪問を予定しているそうです。すでに来年の訪日プランもある?


それは自転車で長崎からテン・ライネと同じ道を辿り、江戸(!)に上るというものです。



子どもの頃から、インドネシア生まれの母親(オランダ人)にアジア文化、食事や精神世界についていろいろ教わりました。自然治療に強い関心を寄せていた母の影響は大きく、現在の自分につながるとか。


母親は第二次大戦勃発前にアムステルダムに戻りインドネシアで悲惨な目に会うことはありませんでした。



芸術家一家に生まれたライター氏はアムステルダムのモンテッソーリ・スクール、ついでポリテクニックで電子技術分野に進みますが、何か違う事に気付く。オーボエを習得しロンドンの音楽カレッジで寮生活。その寮仲間のひとりから偶然マクロビオティック食療法について知る。


60年代は愉快に過ごしていた様子ですが1970年、アムステルダムで当時スピリチュアルセンターとして知られていたコスモスにマクロビオティックのレストランを開店。日本風な低いテーブルと箸を使用し珍しがられました。1967年頃からフラワーパワーの波が広がりこのセンターは大麻を吸う者達が集まる場所でもありました。


吸わないどころか大麻の匂いが嫌いだったライター氏はあれやこれやの2年後とうとう店じまい。スイス、ドイツ、スペイン、フランスを旅してリサーチを行い、代替医療が学べる場所をドイツのミュンヘンに見つけました。4年間の課題はホメオパシー、植物学、マッサージ、鍼、イリスコープなど山ほど。1975年にオランダ帰国。エンスヘデーで初めて代替医療師として、さて開業するとお客は老齢の変人男性がひとりっきりだった(笑)。そのあとヘンゲロー、デーヴェンターと医療場が広がっていきます。


当時、代替医療は異端療法とみなされていました。ライター氏は無宗教家族、というより宗教大嫌いの中で育ち、だからかどうか彼自身も無宗教。自分の在り方の中で重要な部分かもしれないと語るユルン・ライター氏です。



17世紀の和蘭陀人鍼灸専門家についても、また由来の町で同じ職業につくライター氏のことも、とてもおもしろいと思いませんか。
*鍼灸は針灸と同じ。                   




2018年6月  高橋眞知子


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