在蘭邦人相談窓口のブログ

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オランダの王室 (1)

オランダの王室ご一家と出来事について、オランダの報道を参考にそのご様子や変遷、折々の社会事情を簡単に綴ってみます。



第一回は、前ベアトリックスBeatrix女王の父君でユリアナ元女王の夫プリンスベルナルド公(1911年6月~2004年12月1日)の病状が重くなった今から10年前11月頃の様子をご紹介します。



1. プリンス・ベルナルド公・Prins Bernhard van Lippe-Biesterfeld(2004年11月)



オランダ王室の長老プリンス・ベルナルドBernhard公の病名が発表されました。



ご高齢(2004年11月で93歳)ということもあり、これまでに何度も入退院を繰返されておられましたが、今回の検査では、肺のフイルムに悪性腫瘍があり転移が診められました。



ベルナルド公はユリアナ前女王が崩御(3月20日)されてから、スーストダイクSoestdijkの王宮で静かに家族に囲まれ、又、その訪問を受けながら過ごされていました。



1994年には大腸、2000年に左肺の腫瘍の摘出手術を受けておられます。



昨年はネルソンマンデラNelson Mandela氏と南アフリカの野生パーク開園式典の為、飛行機の旅はこれが最後と特別機を仕立てバカンスを楽しまれました。



「現在の体調は非常にもろい状態だが精神は何時もの強靭さを失ってはいない」などの表現で各新聞はその他の症状と共に詳しく報じました。

担当医師グループは相談の結果、ご高齢である事から今後これ以上の手術は行わない方針です。



先月は喘息と息切れ症状があり、回復を目的の液体抽出を行い、数回の手術後には胃の内容物が肺に入るなど、ユトレヒト市のアカデミー病院集中治療室で気管を切開し人工呼吸器による治療を何ヶ月も受けておられました。



スーストダイク市住民を中心に国民は、ご高齢とはいえ手の施しようの無いBernhard公の病気に衝撃を受けています。



王宮のPraamgracht通りの住人(王室一家)がこれでゼロになるとすればショックな出来事です。



プリンス・ベルナルド公はドイツのイエーナで貴族の長男として生まれました。



ドイツの大学で法学を学び卒業後に就職をしましたが、その企業がナチ党と深い関連を持ちホロコーストに使われた薬剤チクロンBを開発した財閥であったため、後の経歴に深い傷跡を残します。



1937年ユリアナ皇女と婚姻。



1940年5月、第二次世界大戦でドイツに攻められ5日間で降伏したオランダは、王室と政府はロンドンへ亡命し王室家族はカナダの遠戚貴族の元へ疎開する中、イギリスに留まったベルナルド公は亡命オランダ軍の最高司令官となり、ドイツ抵抗の旗印となりました。



戦後はKLMオランダ航空や多くの企業の理事役員、軍の監察総監を務めました。



国際ロータリークラブ、世界事前保護基金(WWF) の設立にも関わり、1976年ロッキード事件が明るみに出ると、オランダ空軍の空軍機購入に関係してロッキード社から賄賂を受け取っていたことが判明、ロッキード社に「斡旋料」を要求した書類などが公開されるに及んで苦境に立たされました。



米国軍事産業が欧州の兵器市場に対して売り込みを行う際に口利きをしたり、オランダ女王の夫としては相応しくない出来事が続きます。



また、別の女性達との間に二人の娘(アリシア、アレクシア)をもうけていたことなどが発覚し女王との険悪な時期も過ごされ、 2004年12月1日、ユトレヒト病院にて波乱万丈の93歳の人生を閉じられました。



つづく (A子)



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